書評「ナチュラル・ウーマン」(松浦理英子 著)☆レズビアン同士の激しい恋愛(性愛)を描いた鮮烈な小説☆

 

1987年発行。著者の3冊目の長編小説です。漫画家の村田容子と、かつて容子の恋人だった諸凪花世、夕記子、森沢由梨子の4人の女性の恋愛物語です。大学生時代の容子と花世の、激しい恋愛と別離を描いた表題作「ナチュラル・ウーマン」、花世との再会と夕記子との恋愛と別離、由梨子との新しい恋の予感を描いた「いちばん長い午後」、由梨子との小旅行を描いた「微熱休暇」の3つの物語から出来ています。

著者自身が「傑作」「間違いなく何物かである小説」と自賛して、中上健次の絶賛を受け注目されますが、当時の文壇からは黙殺されて、商業的にも成功しませんでした。

著者は、小説・エッセイとも一貫して、性愛における「性器結合中心主義」への異議、「非性器的エロスの称揚」「非男根的」「生殖行為から解放された進化形の性愛」を唱え続けています。

寡作な作家でもあり、48年間のキャリアの中で、小説10冊、エッセイほか4冊しか出していません。しかし日本文学における存在感は、相当なものです。

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「ナチュラル・ウーマン」

主人公(語り手)の「私」は、20歳前のマンガ家の卵である村田容子です。容子は大学の同人漫画雑誌のサークルで知りあった諸凪花世と、気がつくとキスをしていました。花世はクールで知的で、どんな男性にも女性にも、たやすく心の内を明けない、プライドの高い女性です。そんな花世を好きになる男性はいっぱいいて、花世は何人かと付き合いますが、どれも長続きしません。いっぽうの容子は可愛くて、それなりに男性から声をかけられて、一応は付き合ってみますが、男性のあまりの退屈さにうんざりしてしまいます。花世は容子の体に手を回して「こういうことになると思ってたでしょう」と囁きます。容子が目が眩みながら「思ってた」と答えると、花世はまた唇を押し付けてきます。そのあと2人は「色っぽいジャングルに迷い込んだ」ように情欲を募らせて、裸になります。しかしバイセクシャルの花世は、同性愛嗜好で性経験の少ない容子をいろいろと調教するのに、自分の性器には絶対に触らせようとはしません。「男の垢に塗れた性器」などは放っておけと言って、容子の性器にも触ろうとはしません。ある日花世は、容子の肛門を犯すようになります。最初は花世の指が入ってきました。「押し広げられていく感覚が喉のあたりにまで走り、私は頬を蒲団に埋めた。かつてないときめきが全身に拡がり、呼吸が乱れた」。痛みがあるのに、容子には強い「甘い余韻」が残ります。それからの花世は、容子の肛門に、何度も指を入れてきます。容子は「多分私たちは私たちに適った性行為を発見したのだ」と思います。

花世と容子は、同人漫画雑誌のささやかなスターになりつつありました。2人でムックのような作品集も出します。花世は容子の肛門に指を出し入れしながら「お金が入ったら一緒に住もうか」と言います。容子は陶酔に浸りながら「うん」と答えます。しかし花世は「無理よ」と言って「どちらかが死ぬわ」と言います。直後、花世は突然、枕元に置いてあった葛湯を容子のお尻に塗りたくります。さらに花世は、葛湯を容子の陰部のまわりに塗りたくって、ゆっくりと伸ばしていきます。容子は「興奮と羞恥が一挙に込み上げ、混乱した」。そして花世の温かい舌が入ってきたことを感じます。それからの2人は、まるで性のゲームのように狂い出します。花世は容子の肛門に、スプーンや物干用のロープやヘッドフォンのピンプラグを、さらには煙草をも差しこんできます。

やがて2人のサイン会が地方都市で開かれたとき、容子はインタビューに答えて、花世の作風について余計なことを言ってしまいます。その夜、花世は容子に「私を好き?」と言いながらスリッパで何度もひっぱたきます。容子が「好き」と言うと花世は「嘘つき」と言って、また容子の頬をひっぱたきます。そして花世は容子を抱きしめます。容子は「こんな抱擁ならしない方がいい、と言うことはできなかった」と述懐します。

容子と花世は別れます。それはもはや2人には「別れること」以外には、やることが残っていないからでした。容子は「ナチュラル・ウーマン」になれたような気がしてましたが、そうでもなかったのかも知れませんでした。

「いちばん長い午後」

容子は花世との別離のあと、男とのセックスを知ったのち、国際線のスチュワーデスの夕記子と親しくなり、セックスする関係になります。夕記子も花世と同じように、容子に発作的に暴力をふるい、プラスチックの短刀で肛門を突き、粘膜をこじあけます。しかし夕記子は、容子のマゾヒスティックに見える反応に対して「逆支配」されているように思っていました。2人のセックスには「ずれ」がありました。

「微熱休暇」

25歳になった容子はプロの漫画家として成功して、以前から惹かれていたアシスタントの由梨子と一緒に、伊豆への小旅行に出かけます。由梨子は容子を海辺の旅館に連れていきます。しかし容子は、お互いに物のように「扱い弄び変形しあう」ような、徹底的に「いやらしく愉しい行為」をすることを妄想していました。容子は由梨子に、つい「やりたい」と口走ってしまいます。由梨子は同意しますが、キスをしたとたんに、容子の気持ちが萎えます。容子は由梨子に「好きすぎるとかえって出来ない」と言います。由梨子からは「インポ」と言われてしまいます。由梨子と容子の間には、どうしても性関係が始まりそうにありませんでした。

夜中に、2人は調理場に行って、蛸を食べることにします。「由梨子は決心したのか、蛸を両手で鷲掴みにすると二つに引き裂き、一方を私に押しつけて自分の分を口元に運んだ」。

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松浦理英子

3作品の中でメインは「ナチュラル・ウーマン」でしたが、3つの物語が「無限ループ」のように絡み合って、密室の愛という感じでした。当然、男性はいっさい登場しません(「微熱休暇」のラストの調理師のおじさんを除いて)。女性器に挿入したり弄ぶ場面が皆無で、女性器は徹底的に描かれていません。唯一の例外が「肛門(アナル)」への物の挿入であり、倒錯を重ねて、遂には純愛と化す、女性同士の性愛の多様性(方法)がたくさん詰め込まれた小説です。おもに主人公や登場人物の心理描写の変化を中心に話が進んでいきます。女性の「A感覚(アナル)」がどんなものか知りませんが、ものすごく実験的な意図を感じますし、男女間では感じにくい、女性同士ならではの耽美的で生々しい、貪欲な性の愉しみを垣間見ることができます。女性の同性愛ならではの辛さや喜び、切なさを克明に描いています。自分の心身をすり減らすまで、愛することを止めないひたむきさは、とてもヒリヒリしましたが、同時にうっとりもしました。

それから、行間(全体)から立ち上ってくる、生々しいまでの生理感覚が、まさに女性特有のものだと感じました。こう言っては語弊がありますが、読んでいて「女性器」の匂いが生々しく立ちのぼってくる稀有な作品だと思いました。これは比喩ではなく、たかが小説なので実際には存在しないははずの「匂い」まで感じ取れました。それほどこの小説は匂いが充満していて、こんなにも匂い立つ小説が書ける作家は、なかなかいないのでは、と思いました。

主人公の容子にとって、最重要人物は花世だと思います。容子にとっての愛は、花世との緊張関係の最中だけに存在する危ういものです。花世に支配されたい欲求は、花世に拒絶されることでさらに高まり、それゆえに狂おしいほどに花世を求めて、また拒絶される。甘くて痛い、そんな矛盾の中に容子は自分の存在を確認します。決して成就しない愛。こんなに痛い恋愛は、ほかに存在しないのかもしれません。好きで好きでたまらないのに、一緒にいるとお互いの心身を削っていくような恋愛。私は「ヤマアラシのジレンマ」という言葉が浮かびました。ひとつの究極の愛の形がここにあると思いました。

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異色の作品ですが、後味が妙にスッキリした小説です。この作品は官能小説ではなく、性愛小説だと思いました。私はこの小説は文句なく「傑作」だと思います。甘いだけのラブストーリーなんて大ウソ、と思う方にオススメです。

ちなみに、タイトルはアレサ・フランクリンの曲である(作曲はキャロル・キング)『ナチュラル・ウーマン』から採っているようです☆

追伸
ちなみに単行本の1ページ目は、シーツの皺を模したような凹凸加工が施されています。

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