アニメ映画「この世界の片隅に」を観て。戦争中を生き抜く若い女性の物語。世界中で大ヒット

 


2016年製作のアニメーション映画です。こうの史代の同名漫画を原作に、片渕須直が監督と脚本を務めました。主人公のすずさんの声はのんが務めました。昭和19年2月に、18歳で広島から軍港のある呉の北條家に嫁いだ主人公のすずが、戦時下で物資が徐々に不足していく不自由さの中、生来の明るい性格で、工夫を凝らして日常を乗り切って生きる姿を描いています。

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1133日という長期にわたって連続でロングラン上映されました。累計動員人数は210万人、興行収入は27億円を突破して大ヒットしました。世界60以上の国と地域で上映されました。本作品は各方面から大絶賛されて、多くの賞を獲得しました。映画の大ヒットを受けて、2019年12月20日に約40分の新規場面を追加した長尺版『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開されました。

この映画はクラウドファンディングで集めたお金で、パイロット版を作ったらしく、草の根で手作り感のある作品です。

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主人公の北條すず(旧姓・浦野。のん)は、広島で少女時代を過ごし、空想力が豊富で絵(水彩画・スケッチ)を描くのが上手くて、のほほんとした性格です。困ったことがあっても動じない、芯の強い素直な女性です。小学生の頃、すずは海苔を届ける仕事で(すずの家は海苔梳き)街に行く途中で「ばけもん」にさらわれます。すずは、ばけもんの背中の籠の中で知らない少年である周作と出会います。すずは、ばけもんから貸してもらった望遠鏡のレンズに、星や月の形に穴を空けた布を被せて、それをばけもんに見せて、ばけもんを眠らせてしまい、周作と一緒に逃げ出します。すず一家は、祖母の家を訪ねます。すずが昼寝から起きると、天井裏から降りてきた見知らぬ少女(座敷童子。実は後に出てくる白木リン)が、すずたちが食べ終わった後のすいかの白い部分を食べていました。すずは新しいすいかを持って来ますが、すでに少女はいませんでした。すずは同じクラスのガキ大将である水原哲に、短くなった鉛筆を取られて、床の穴に落とされてしまいます。放課後すずは、海の事故で兄を亡くして、家に帰りたくないために、課題の絵を描かずに、海を見つめて座り込んでいる哲を見かけて、哲に代わって絵を描いてあげます。

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太平洋戦争のさなかの昭和18年12月、18歳になったすずが、祖母の家で家業である海苔梳きの手伝いをしていると、突然に縁談の知らせが来ます。帰宅したすずが見たのは、呉からやって来た北條周作という青年でした。翌年2月、呉の北條家でささやかな祝言が行われて、すずの新生活が始まります。すずはみかけが不器用で、いつもぼんやりしていて、危なっかしく見えます。北條家で失敗をするたびに、義姉の径子に叱られます。しかし径子の娘である晴美には懐かれます。戦時下のために物資が不足して、配給も少なくなる日々が続きますが、すずは得意のユーモアと生活の知恵で、食料に乏しい日々を乗り切って(野草を採ったり、楠公飯(なんこうめし)や節米料理を作ったり)次第に北條家の人たちと打ち解けていきます。

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ある日、すずは闇市からの帰り道、迷子になります。迷い込んだとある遊郭で、遊女の白木リンと友達になります。すずは、自分の栄養失調が原因で子どもがなかなかできないことに悩みますが、リンから「この世界に居場所はそうそう無うなりゃせん」言われて救われます。すずはリンに、得意な絵(食べ物)を描いてあげます。ある日すずの元に、かつて仲の良かった幼馴染の水原哲が訪れます。水原は納屋に泊まります。すずは水原と関係を持ちそうになりますが、自分の心が周作に傾いていることを自覚します。すずはリンに会うために、遊郭まで出向きますが、あいにくリンは接客中でした。すずは代わりに応対してくれた病床(肺炎)の遊女テルの要望で、雪の積もった地面に得意の絵(南の島)を描いてあげます。後日すずは、桜の花見で再会したリンから、テルがあの直後に亡くなったことを知らされます。

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しだいに日本軍の戦況が劣勢になり、軍港の街である呉は、昭和20年3月19日を境に、集中的にアメリカ軍の戦闘機の空襲を受けるようになります。それにも関わらず、日々を明るく過ごそうとするすずでしたが、6月22日の空襲の時、地雷弾の爆発によって目前で晴美を死なせ、自分も右手を失くしてしまいます。意識を取り戻したすずは、晴美を死なせたことを径子に責められます。7月1日の空襲で、呉の市街地は焼け野原となり、郊外の北條家にも焼夷弾が落下します。広島から見舞いにきた妹のすみは、お祭りが催される8月6日に、広島の実家に帰ってくるように誘います。すずは人の死が日常と化したこの世界に、順応しつつある自分は歪んでいるのだと思い、世界は左手で描いた漫画のように歪んでいると言います。ある日すずは、機銃掃射から守ってくれた周作に、広島に帰ると告げます。8月6日の朝、病院の予約があるために帰郷を遅らせたすずは、径子と和解して北條家に残ることを決めます。すずは、広島に投下された原子爆弾による被爆を免れますが、爆心地から20キロ離れた北條家にも、閃光と衝撃波が届き、広島のほうから立ち上る巨大な雲を目撃します。

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8月15日、ラジオで終戦の「天皇のみことのり」を聞いたすずは、一億玉砕の覚悟とは何だったのかと激怒して家を飛び出します。これまで正義の戦争と信じていたものの実態が、ただの破壊行為に過ぎなかったことを思い「何も知らないまま死にたかった」と泣き崩れます。11月、すずは周作と一緒に呉の市街地に出かけて、リンのいた遊郭も空襲によって跡形もなくなっているのを目の当たりにします。翌年の1月、すずはやっと広島市内に入り、祖母の家に身を寄せていたすみと再会します。すずの両親はすでに亡くなっていて、すみには原爆症の症状が出ていましたが、すずは治らなければおかしいとすみを励まします。焼け野原となってしまった広島市内で、すずは周作に、この世界の片隅で自分を見つけてくれたことへの感謝を述べます。2人が佇んでいると、戦災孤児の少女が現れて、すずに食べ物を与えようとします。すずに縋って離れなくなった少女を、2人は呉の北條家に連れて帰ります。少女は虱が全身に湧いていました。急いで湯を沸かす北條家の人々。空襲に怯える必要がなくなり、呉の夜には街の灯りが戻っていきました。

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私は長尺版の『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を観ました。まずはすず役の声を演じたのんの演技力に圧倒されました。広島弁(呉弁)を見事に演じていました。ずずはほんとうにおっとりしていて(状況に流されっぱなし。逆らわない。不満を言わない。最初は嫁ぎ先の苗字も分からない。港の絵を描いていて憲兵にスパイと間違われるなど)、どんな困難(不遇)な状況にも動じない性格ですが、最後には笑顔が無くなり、敗戦に激怒するほど人格が変えられていくさまは、戦争の救いのなさを感じてやるせなくなりました。物語の展開が物凄く早いのにも関わらず、全体の印象はとてもゆったりと淡々とした不思議な作品でした。悲惨な状況なのにもかかわらず、全体的な印象はほんわかしていて、それは手仕事やかまどを焚いている「普通の女の子」からの視点で描いているからだと思いました。地獄の飢餓状態にもかかわらず、それを切り抜けるユーモアが満載で、生活を楽しそうに過ごそうとしているすずに泣けました。飢餓をスイカやキャラメルの絵を描くことによって切り抜けるすずさんが、健気でした。

のん本人が出ているような、すずさんが実在しているような気持になりました。『火垂るの墓』や『はだしのゲン』とはまったく違うテイストでした。説教くさくなく、押しつけがましくなく、右とか左とかのイデオロギーに関係なく、普遍的に見れる作品だと思いました。後知恵なしで、当時の現実を何とか生きようとするリアルさは、戦争が過去の出来事ではなく、今と地続きであり、戦争は本当にあったという実感が持てました。

片渕監督は、膨大な取材をして資料を集めたそうです。瀬戸内の風景や街並みは、事実を精密に再現されているそうです。出来事の時刻やその日の天候も、正確に描写されているらしいです。戦闘シーンもリアルで、爆弾の欠片が降ってくるシーンは圧巻でした。「神は細部に宿る」という言葉を思い浮かべました。広島の悲劇を知っている私たちには、カウントダウンにハラハラして、見ている私のほうがサスペンスを感じました。

すずさんのほのかなエロティックな場面もあり(初夜のたしなみとか)、日本女性の色気も感じました。バックにかかるコトリンゴの歌う『悲しくてやりきれない(原曲はザ・フォーク・クルセダーズ)』が切なくて、胸を打たれました。長尺版は2時間40分ですが、それほど長く感じませんでした。

ちなみに、このアニメを持って「セカイ系(自意識過剰)時代の終わり」という見解もあるようです☆

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