映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」を観て。アッシジの聖フランチェスコの青年期を描いた伝記映画


 1972年制作のイタリアとイギリスの合作映画です。監督はフランコ・ゼフィレッリです。アッシジの聖フランチェスコの青年期(創成期)を描いた伝記映画です。イギリスのフォーク歌手のドノヴァンが音楽を担当しています。また主題歌と挿入歌も歌っています。

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イタリアのアッシジに住む商人の一人息子として生まれたフランチェスコ(グレアム・フォークナー)は明るい性格でいたずら好きでした。フランチェスコには4人の友人がいました。新人の修道士で学問と宗教に熱心なシルベストロ、性への興味しかないジオコンド、理想に憧れる騎士のベルナルド、法学生のパオロでした。フランチェスコが18歳のときに、アッシジに戦争が起こります。4人の仲間と司教の祝福をうけて、フランチェスコは戦場に行きます。しかし戦いに敗れて、熱病に罹って帰ってくると、フランチェスコはベッドでずっと生死を彷徨います。

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ある朝、小鳥の声に気づき目を覚まします。フランチェスコは夢中で手を伸ばしながら近づいて、屋根の上にでます。そして小鳥のように手をはばたかせます。遥か彼方には、野山が見えました。じつはフランチェスコには心に大きな変化が起きていました。果樹園の中で休んでいたフランチェスコのもとに、美しい少女のクララ(ジュディ・バウカー)が近づいてきます。クララはフランチェスコに「あなたは気が狂ったという噂よ。まるで小鳥のように歌い、蝶を追って、花を見ているから・・・。でも私には、狂っていたのは戦争に行く前だったと思うわ」

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フランチェスコは、自然の中で生きる小動物の素晴らしさに気づきます。フランチェスコは次第に、自分の周りの人々の様子に関心が行き始めていました。労働する人、老いている人、病いに苦しむ人・・・教会の中には裕福な人々がいて、外には貧困ながらも一生懸命に祈る人々がいました。そのあまりにも大きな落差に、フランチェスコは「神はこれを許すのだろうか」と自問自答します。そして彼は「否」と言わずにはいられませんでした。家に戻ったフランチェスコは、自分の店にある高価な布を次々と窓から放り投げます。それに激怒した父親は彼を引きずり出して、長官の裁きを乞いに行きます。しかしフランチェスコは、大衆の面前で着ている服を全部脱ぎ捨て、両親に返します。「私はもうあなたの息子ではありません。人間に必要なのはお金ではなく心です。これから私はキリストのように乞食になります」と言い放ちます。

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裸になって城門を出たフランチェスコは、陽に向かって両手を広げながら野原に向かいます。雪が降りしきり、真っ白になった野原で、フランチェスコは独りでサン・ダミアノ教会の再建を目指していました。十字軍の英雄として帰還したベルナルドは、フランチェスコの姿にいたく感動し、彼に協力を申し出ます。また昔の友人たちも次々と集まってきました。そして髪を切ったクララも加わり、次第に貧しいが純粋な人々が集まるようになります。

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しかしグィード司教はパオロに「サン・ダミアノを潰せ」と命じ、教会は焼かれて、仲間の1人が殺されます。フランチェスコは「自分のしたことは間違いだったのか」と苦悩します。彼は仲間たちと一緒にローマ教皇インノケンティウス3世(アレック・ギネス)に請願に行くことにします。その取次の条件として、パオロは自分の作成した文章を読み上げることを告げます。やっとのことでローマ教皇に謁見が許されます。そこでフランチェスコはパオロとの条件を破棄して、自説(キリスト教の腐敗)を説きます。一度は追い出されますが、教皇は大いに改心して、彼を呼び戻します。そして「私は恥入る」と言い、フランチェスコの足に跪きます。フランチェスコは故郷に帰り「やはりここが一番良い」と言います。鳥が歌い、小川のせせらぎが聞こえ、フランチェスコは「兄である太陽」や「姉である月」のように安らかで、鳥や獣のように幸せでした。

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宗教色の強い作品ですが、説教臭さがなく、青春映画としてきれいにまとまっていました。一面花畑の草原の描写が美しく、全編に流れるドノヴァンの音楽と映像美がかみ合っていました。「お金持ち(強欲)は悪」「貧困(無欲)は善(祝福される)」というメッセージには意見が分かれると思います。全般的にセリフが少なく、映像で魅せる作品だと思います☆

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