映画「桜田門外ノ変」を観て。幕末最大の事件を水戸藩士の視点から描く。襲撃シーンは圧巻
2010年製作。吉村昭の同名の歴史小説を原作とした映画です。主演は大沢たかお。江戸幕府の大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」とその前後の事情を、襲撃を現場で指揮した水戸藩士・関鉄之介の視点から描いています。水戸藩士らが井伊暗殺を計画して実行するまでと、その後の顛末が克明に描かれています。薩摩が挙兵する計画が成らずに、暗殺を実行した水戸藩士たちが失意のなか、次々に捕縛、自刃、潜伏逃亡するあり様が詳細に描かれているのが特徴です。冒頭から全体の三分の一ほどで桜田門外の変が発生し、残りの三分の二で襲撃までの経緯と、水戸浪士たちの逃亡劇が交互に描かれています。ラストは主人公・関鉄之介の捕縛と斬首、桜田門を通って江戸城に入る新政府軍の行進で幕を下ろします。襲撃のシーンは史実にほぼ忠実だそうです。

桜田門外の変が起こる7年前、1853年7月、フィルモア大統領の国書を携えたペリー提督率いる東インド艦隊の黒船(鉄製)4隻が浦賀に現れます。水戸藩前藩主の徳川斉昭(北大路欣也)が海防参与に任命されます、水戸藩も大砲を持っていましたが、銅製で射程も短い(10分の1)ものでした。ペリーは幕府に開国を要求します。これがすべての始まりでした。

1960年(安政7年)。襲撃計画の会合には、水戸藩南郡奉行・金子孫二郎(柄本明)、水戸藩北郡奉行・野村常之介(西村雅彦)、水戸藩奥右筆頭取・高橋多一郎(生瀬勝久)以下、19名が参加します。大老・井伊掃部頭直弼(伊武雅刀)の襲撃計画には、当初50人が予定されていましたが集まらず、水戸藩から17名、薩摩藩から1名(有村次左衛門)が参加します。決行は3月3日の桃の節句、現場の指揮は関鉄之介(大沢たかお)が執ると決められます。いっぽう彦根藩側は、護衛の供回りが24名から25名、足軽40名が予想されました。襲撃後には薩摩藩から3000名の兵が出る手はずとなり、襲撃は計画の半ばで、最終目的は京都制圧でした。襲撃後、無事な者は京都に向かう予定でした。17名の藩士は脱藩届けを書き、小石川の水戸藩上屋敷に提出することになります。行列の先頭に斬りかかるのは森五六郎と決められ、左翼の武家屋敷側は、黒沢・山口・杉山・有村・増子が待機し、後詰めは、蓮田・鯉渕・広木・大関・佐野・稲田・森山・広岡が勤め、ピストルは、金子・関・斉藤・稲田・森・黒沢が担当することになります。検死見届け役には岡部三十郎、老中宛の斬奸趣意書提出は斎藤監物が受け持つことになります。

映画開始31分後、井伊直弼の襲撃が始まります。井伊は「バカめ。日本をどうするのだ」と呟きます。季節外れの雪が降りしきる中で死闘が繰り広げられ、映画開始36分後、ついに井伊の首級が取られます。稲田重蔵は討死します(享年46歳)。3月4日、有村次左衛門(享年21歳)・広岡子之次郎(享年20歳)、常陸国神官・鯉渕要人(享年51歳)、山口辰之助(享年29歳)は自刃します。いっぽう、斉藤・佐野・黒沢・蓮田は、脇坂中務大輔の屋敷に自訴(斬奸趣意書)を提出します。佐野竹之介は負傷死します(享年20歳)。森・大関・森山・杉山は軽傷で、細川越中守の屋敷に自訴します。広木・海後・増子は逃亡して無事でした。井伊側の被害は、現場で絶命4名、屋敷で絶命3名でした。関・野村・岡部の3名は、高橋・金子の後を追って京都に行きます。3月5日午前2時、徳川斉昭の元へ早飛脚が来て、襲撃を知らせます。武田耕雲斎(榎木孝明)と話をする斉昭は、襲撃に参加した者は「大罪」と断言します。

襲撃の6年前の1854年(安政元年)1月、ペリーが再来日します。ペリーは和平条約締結を望んでいました。要求は燃料や食料の補給のほか、通商交易でしたが、徳川斉昭は老中首座の阿部伊勢守正弘に、アメリカが一方的に有利になる通商交易は受け入れられないと言います。幕府は和親条約だけを締結します。1856年、アメリカは下田に領事館を開設、タウンゼント・ハリスを初代領事に任命します。1857年9月、徳川斉昭は、海防・軍制・幕政参与をすべて辞任します。10月、ハリスが江戸城に登城して、将軍家定に国書を提出します。そして彦根藩主・井伊直弼が大老になります。

襲撃の2年前、徳川斉昭は江戸城に押し掛け登城します。斉昭は井伊に、日米修好通商条約の締結を勅許を得ずに、強引に結んだことを弾劾します。条約締結は国法の鎖国を破るものでした。同じ頃、家定の次の将軍継嗣問題で、紀州派と一橋派が対立していました。6月25日、次期将軍が紀州の徳川慶福(後の家茂)に決定したことが発表されます。7月5日、徳川斉昭、尾張藩主・徳川慶勝が謹慎処分になります。同日、将軍家定が逝去します。すべては井伊直弼の独断でした。井伊は家定の死を8月まで秘匿します。8月8日、京都の御所では、武家伝奏・万里小路正房が水戸藩京都留守居役・鵜飼吉左衛門に勅書を渡します。しかし九条関白の署名がないものでした。井伊は老中・間部詮勝に、京都所司代と協力して厳罰に処すように言いつけます。

その頃、関鉄之介は越後国・水原村に居ました。関は藩命で蝦夷に行く予定でしたが取りやめます。事情が変わったと言い、江戸へ向かいます。薩摩藩の西郷吉之助は、藩主・島津斉彬が3000名の兵で出兵することを確約します。有力諸藩の説得には、越前・長州・鳥取には、関・黒沢が、土佐・宇和島・薩摩には、増子・杉山が選ばれます。しかし水戸藩の計画に賛同したのは、鳥取藩(安達清一郎)だけでした。
やがて井伊による「安政の大獄」が始まります。長州藩士・吉田松陰・死罪(享年29歳)、越前藩士・橋本左内・死罪(享年25歳)、京都町儒者・頼三樹三郎・死罪(享年35歳)、元小浜藩士・梅田雲浜・獄死(享年44歳)、水戸藩家老・安島帯刀・死罪(享年48歳)、水戸藩士・鵜飼吉左衛門・死罪(享年62歳)、水戸藩奥右筆頭取・茅根伊予之介・死罪(享年36歳)、水戸藩勘定奉行・鮎沢伊太夫・遠島、徳川斉昭・永蟄居など、死罪11人をはじめ、流罪や蟄居など、処罰者は100人を越えます。

井伊襲撃後から10日経ち、1860年3月13日、元郡奉行・金子孫二郎、佐藤鉄三郎、有村らは京都へ急いでいました。途中伊勢の四日市で薩摩藩兵に捕まり、京都伏見の薩摩藩邸に連行られます。結局、薩摩兵3000名は立ちませんでした。薩摩では、藩主の島津斉彬が逝去し、次期藩主の父親である島津久光が実権を握ったからでした。3月15日、金子と佐藤が捕縛されます。3月23日、元奥祐筆頭取・高橋多一郎は追手から脱出を図りますが、足を傷め追いつかれて、天王寺で切腹します(享年47歳)。3月26日、野村・関・岡部は、奈良街道の玉造にいました。
3月28日、関の妾であるいのが捕縛され拷問死します。3月29日、逃亡中の関は、大庄屋・桜岡源次衛門(本田博太郎)から逃亡資金を受け取ります。やがて関は、故郷の常陸国・袋田村の桜岡の元に身を寄せます。関は再度、鳥取に翻意に行きますが失敗します。関は薩摩にも行きますが、薩摩藩は他藩からの出入りを禁止していました。7月9日、袋田村に戻った関は、桜岡から「桜田烈士」と崇められます。8月15日、徳川斉昭が心筋梗塞で急死します(享年60歳)。世は公武合体が進んでいました。ついに岡部も捕縛され、関がただひとり捕縛されていないのでした。関は訪ねてきた野村から、彦根藩側は、当主を守れなかったために、全員切腹が命じられたことを知ります。関は「井伊ひとりを倒すのに、いったい何人の命が失われたか」と述懐します。

1861年8月31日、金子孫二郎(享年58歳)、大関和七郎(享年26歳)、蓮田市五郎(享年29歳)、森山繁之介(享年27歳)、杉山弥一郎(享年38歳)、森五六郎(享年24歳)、岡部三十郎(享年44歳)の7名が死罪(斬首)となります。ほかには、黒沢忠三郎・負傷死(享年30歳)、斉藤監物・負傷死(享年38歳)、佐藤鉄三郎・中追放の刑などの刑が執行されます。
関は越後国の水原村に行きます。金を貸した人物がいたためでした。関は蝦夷地へ行って再起を図ろうとしますが、水戸藩の安藤と大内に捕縛されます。関は「水原村の代官かと思った。お前たちと知っていれば切り捨てたのに」と苦笑いします。関は自分は倒幕に手を貸したいが、夢に終わることを悟ります。関は白い紙を目の前に被されて斬首されます。時は1862年6月8日。関鉄之助・享年38歳でした。広木松之介は3年後に切腹します(享年25歳)。増子金八は明治14年に病没します(享年60歳)。常陸国神官・海後磋磯之介は維新後、警視庁に奉職して、明治36年に病没します(享年76歳)。
1868年、明治維新が成り、官軍の西郷吉之助(永澤俊矢)は桜田門の前で馬を止めて「ここが桜田門。ここから、あっという間じゃった」と呟きます。

とにかく襲撃シーンがリアルで、真っ白な雪の中、真っ赤な血がほとばしり、井伊の生首が取られるシーンは迫真であり圧巻です。この巨大なオープンセットには、約2億5000万円の予算が使われたそうです。物語の作りも史実に忠実で、所作や衣装もしっかりしていて、エキストラの多さも半端ない数でした。首謀者18名の苦悩や葛藤や顛末が、丁寧に描かれていました。18名の役割分担もしっかり描かれていて、良かったです。井伊直弼の人間味も丁寧に描かれていて、単なる悪役にはなっていませんでした。主人公の関鉄之介の正義感と覚悟には、見ていて胸が熱くなりました。桜田門外の変が単なるテロではなく、憂国の志を持った行動だったことがきちんと描かれていて秀逸でした。全体的にとても丁寧に作られていて、派手さはないですが重厚で、静かながらも心に強く残る名作でした。赤穂事件・226事件と重なる部分も多いと感じました。
首謀者7名が死罪を言い渡されて、引っ立てられるシーンで、わらじが片方1つだけ残される描写は、細かくて効果的でした☆
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