映画「俺たちに明日はない」を観て。銀行強盗のボニーとクライド。壮絶なラスト


 1967年製作のアメリカ映画です。世界恐慌時代の実在の銀行強盗のボニーとクライドの、出会いから逃走・射殺されるまでを描いたクライム映画です。1960年代末に台頭した、アメリカン・ニューシネマの幕開けとなった作品のようです。明るいカントリーウェスタン風のBGMとは対照的な、絶望的でスピーディな展開の映画です。

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1930年代、大恐慌の最中。ケチな自動車泥棒のクライド・バロウ(ウォーレン・ベイティ)は、ボニー・パーカー(フェイ・ダナウェイ)と知り合い、ふたりで銀行強盗を始めます。憎からず思っているふたりは、クライドが「性的不能(インポテンツ)」のために清い関係を保っていました。そのことが悪事に拍車をかけます。やがて頭の鈍いガソリンスタンドの店員、C・W・モス、さらにクライドの兄夫婦が加わり、その悪名も広く知られるようになると、厳しい逃亡生活を余儀なくされます。警官に銃撃されて傷ついたふたりは、モスの家に身を寄せ、初めて愛の行為を交わします。しかし、その時はすでに遅く、モスの父の裏切りで警官隊が彼らを待ち受けていました。

87発の銃弾の雨あられが、ふたりを文字通りハチの巣に貫いて、絶命した二人のカットでラストを迎えます(”死のバレエ”と呼ばれた)。

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悲劇的なヴィジョンに貫かれた物語なのですが、全編に漂うユーモア、乾いた虚無感、センスのいい会話に、新鮮な感動を受けました。フェイ・ダナウェイの美人ではないが、妖艶な圧倒的存在感と、ウォーレン・ベイティの飄々とした演技が印象的でした。女性を”口説く”ために生まれて来たような彼の、陽気なラテン的なオプティミズムと、どこかとぼけたような顔つきは、およそ深刻なドラマには不釣り合いのはずなのですが、なぜか逆に悲劇に向かうにはピッタリの気がしました。

脇を固める俳優たちも、非の打ちどころがないほど完ぺきに役柄にはまっていて、特に全身に入れ墨をした、愚鈍なC・W・モスの不思議な存在感が印象的でした。ボニーが新聞で、自分たちのことについが書かれた詩を読んでいるシーンは哀切感があり、このシーンがあればこそ、ラストの悲劇が際立つと思いました。

ママに会いたい、と言って泣きじゃくるボニーを追い、クライドが枯れ果てたとうもろこし畑を走ってゆくシーンと、それに続く砂丘でのピクニックのシーン。久しぶりに再会したボニーの年老いた母親は、彼女とクライドに向かって寂しげにこう言います「若い者同士でおやり。私はもう年だし、何もわからない」と。最愛の母から別れを告げられるボニーは、戻ろうと思っても戻れないところまで来てしまったのでした。

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ボニーとクライド

悲しみ、切なさ、虚しさ、絶望を表現するためにこそ、過剰なまでのドタバタとした喜劇的シーンがあるのだと思いました。

笑いながら胸を熱くする、最高の映画でした☆

追記1:ふたりが殺される直前、仲良くひとつのリンゴをかじり合うシーンは、直後の悲劇と対照的で、ラストの悲劇性が増しました・・・

追記2:野沢尚脚本のドラマ「リミット もしも、わが子が…」の中で、犯人役の新山千春と妻夫木聡が、この映画を彷彿させるシーンがあります・・・


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