映画「全身小説家」を観て。「嘘つきみっちゃん」が小説家になった
1994年製作。『ゆきゆきて、神軍』で知られる原一男監督によるドキュメンタリー映画です。戦後の左翼小説家である井上光晴の晩年の5年間を取材した作品です。井上光晴が作った「文学伝習所」での講義や講演、癌との闘病生活を中心にして描かれています。また彼の虚構の人生(経歴・年譜)についても暴く内容となっています。
ちなみに「全身小説家」とは、盟友の埴谷雄高が井上光晴を評した言葉で「存在そのものが小説家、骨の髄まで小説家」の意味だそうです。

井上光晴は、福岡県久留米市で生まれます(自分では旅順生まれであると言っている)。長崎県崎戸町と佐世保市で育ちます。貧困の中に育ち、高等小学校中退後、独学で数々の検定試験に合格します。炭鉱労働(崎戸炭鉱)を経て日本共産党に入党しますが、日本共産党の内部批判をした小説(『書かれざる一章』)が注目を集めたために離党(除名)します。それ以後、社会の底辺にある差別と矛盾をテーマにした作品を発表します。井上は、九州や北海道はじめ、山形、群馬、新潟、長野など全国各地で「文学伝習所」を開講して後進の育成に力を注ぎます。埴谷雄高は「井上はそれによって自分の時間と健康を損ねた。書くべきものが制限された」と述懐します。

映画の冒頭は、井上が自分が座長である「井上光晴一座」で女装して踊り、ストリップを披露するグロテスク(笑)な場面から始まります。やがて井上は1989年に「S字結腸ガン」と診断され、さらに肝臓に転移して、8時間の大手術をします(肝臓を850kg切除)。そしてまた肺に転移して、手術ではなく化学療法を選択します。映画は、井上が癌と闘病しながら「文学伝習所」のメンバーへの講義の様子や、講演会(人間と文学)の様子を描いていきます。途中で、井上の関係者へのインタビュー映像が随所に挟まれます(約50人。女性が多い)。盟友の埴谷雄高や、元不倫相手でソウルメイトの瀬戸内寂聴が井上の見舞いに訪れたり、インタビューに答える様子が映し出されます。埴谷雄高は「井上は女なら誰でもクドく。10人に3人は落とす。3割バッターだ」と表現します。実際井上は、何歳の女性でも「女」として扱っていて、女性にとてもモテたようでした。また講演会では「自分史はすべてフィクションである。ある特定の出来事だけを(無意識に)選んで作るから」「(生きているうちに)何でも好きなことをやったほうが良い。ただし上品に。バレないように」などと発言します。

やがて映画は、井上の経歴や年譜が、虚構であることを暴くスリリングな内容になっていきます。自分の経歴を詐称する井上のあだ名は「嘘つきみっちゃん」だそうです。井上は、人生すべてがフィクション(虚構。あるいは作品)であると言います。埴谷雄高は「小説家は特権階級。「嘘つきみっちゃん」が成長して作家になったわけですよ。だからもう自由にウソがつけるような仕事を選んだわけだからね。井上としては最高の道を進んだと言えるんですよ」と語り、瀬戸内寂聴は「井上は嘘をつかなければ生きてこられなかった」と語ります。

映画の後半は、ほぼ闘病記の様相を呈してきます。井上の病院や家での療養の様子が描かれます。井上は徐々に死に近づきつつあるせいか、顔に死相が出てきます。1992年についに大腸癌で死去します。享年66歳。

虚構の経歴と真実を5年の歳月をかけて、1人の小説家の「生」と「虚構」を撮り続けた秀作だと思います。井上の、女性たち(あるいは男性も)を次々と虜にする人たらしぶりや、自分の人生までも虚構の渦の中に巻き込んで生まれた、虚実皮膜の井上文学の神髄について、上手く描かれていると感じます。井上自身の発言が面白く、興味深かったです。人生は「虚実皮膜(あるいは虚構と現実の関係)」だということが良く分かりました。井上は「自分が作品」だったのだと思います。他人を楽しませる嘘なら良いのではないか、と思わせられました。井上は、そもそも「私小説」を否定する立場だったし「小説に書いたこと=実話」とは理解しないまでも、自分の経歴まで詐称し、それを死ぬまで貫いたことは、まさに「全身小説家」と言えると感じます。
DVD特典として、原一男と斎藤學(さいとうさとる・精神科医)の対談が付いていて、それも興味深かったです。斎藤は井上を「空想虚言。演技性パーソナリティ障害」と病跡学の立場から診断して、井上が「自分で嘘か本当か分からなくなる妄想癖があった」「生方のスタッフ細胞と同じだ。嘘が湧いてくる」「伝習所の取り巻きの存在が、井上の演技を増長させていた。しかし井上にとっては必要だった」「井上は少年そのもの。人たらし。女性が欠けてるものを補完する役割が魅力的に映る」「バイセクシャル傾向」だと言います。そして人間ならば、誰でもその傾向を持っていると言います。井上の葬儀で、埴谷雄高が葬儀委員長を務めましたが、弔辞を読んだ瀬戸内寂聴が「井上さんとは男女の性関係抜きの友だった」と語ったことは、一番の嘘つきだと指摘します。
井上光晴は、いつも虚勢を張っていて、母親の愛を欲する寂しい孤独な人だったのだと思います。娘の直木賞作家の井上荒野が小説『あちらにいる鬼(2019年刊行)』で、井上光晴ら家族に密着する撮影の場面が描かれています。
ちなみに、井上光晴には『小説の書き方(新潮選書。1988年刊行)』という著書もあり(私も持っています)、それも興味深いです☆



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